最近、言葉の在庫が思考力や能力に大きく影響する、という話を読んだ。
これは、おそらく間違いないと思う。
もちろん、語彙が多ければ仕事ができるとか、難しい言葉を知っている人ほど優秀だとか、そういう極端な話をしたいわけではない。
ただ、長く仕事をしていると、言葉を持っている人ほど、物事の違いを細かく認識できるということは、かなり強く感じる。
特に、デザインやブランディング、マーケティング、企画、コンサルティングのように、正解が一つではない仕事では、その差が大きい。
たとえば、優れたECサイトを見て、
「このサイト、イケてますね」
と感想を述べることはできる。
しかし、プロであるならば、その「イケている」を何十通りにも説明できなければならない。
- 写真が良いのか。
- 余白の使い方が良いのか。
- 情報量は多いのに、視線誘導が整理されているのか。
- ブランドの歴史を感じるが、古臭くはないのか。
- 高級感はあるが、顧客を緊張させすぎないのか。
- 商品を見せているだけではなく、その商品を使った後の生活まで想像させているのか。
- 同業他社とは明確に違うが、奇をてらっているようには見えないのか。
同じ「イケている」という感想でも、その中身によって、次に行う仕事はまったく違う。
写真が良いのであれば、撮影やアートディレクションの話になる。
情報設計が良いのであれば、UIやコンテンツ設計の話になる。
ブランドらしさが表現されているのであれば、ブランドコードやコピー、商品構成まで含めた話になる。
プロの仕事は、単に良いと感じることではない。
感じ取った良さの正体を特定し、他人が理解できる言葉に変換することである。
「イケている」は、決して悪い言葉ではない
ここまで読むと、「イケているという曖昧な言葉を使うな」という話に見えるかもしれない。
しかし、私はまったくそう思っていない。
むしろ「イケている」は、かなり優秀な言葉だと思っている。
デザイン、写真、コピー、情報設計、時代性、独自性、ブランドとの整合性、顧客に与える印象。
そうした無数の要素を、一言でまとめて表現できる。
非常に圧縮率の高い言葉である。
会話する者同士に十分な共通認識があれば、毎回その内訳を一つずつ説明する必要はない。
- 「この案はイケていますね」
- 「前回より、かなりイケたものになりました」
- 「この方向で、もっとイケているものを作りましょう」
それだけで、多くの情報を一瞬で共有できることもある。
問題は、「イケている」という言葉を使うことではない。
必要になったときに、その言葉の中身を展開できないことである。
- 何がイケているのか。
- なぜイケているのか。
- 誰にとってイケているのか。
- 競合と比べて、どこが違うのか。
- その良さを、別の商品や別のプロジェクトでも再現できるのか。
そこまで説明できるのであれば、普段の会話では「イケている」の一言で済ませても、何の問題もない。
長く付き合った相手の好きなところは、「全部」になる
これは、人との関係にも少し似ている。
付き合い始めであれば、
- 「笑ったときの表情が好き」
- 「話し方が落ち着いている」
- 「食事の好みが合う」
- 「仕事に対する姿勢を尊敬している」
など、相手の好きなところを比較的具体的に説明できる。
ところが、長く一緒にいると、好きなところが増え、それぞれが複雑に結びつき、最後には、
「どこが好きなの?」
「いや、もう全部ですね」
となる。
これは、必ずしも思考停止ではない。
むしろ、認識している情報が多すぎるため、脳が複雑なものを一つにまとめている状態なのだと思う。
優れたブランドやECサイトを見たときにも、同じことが起きる。
写真だけが良いわけではない。
コピーだけが優れているわけでもない。
商品、歴史、余白、接客、価格、レビュー、購入導線、梱包、店舗体験などが互いに影響し合い、全体として一つの感覚を生み出している。
そのすべてを瞬時に認識した結果、脳が、
「これはイケている」
と圧縮している。
つまり、「イケている」という言葉は、何も考えていないから出てくることもあれば、感じ取っていることが多すぎた結果として出てくることもある。
言葉が単純だからといって、認識まで単純とは限らない。
言葉の在庫が増えると、見える差分が増える
それでも、プロには言葉の在庫が必要である。
それは、説明を難しくしたり、知的に見せたりするためではない。
言葉を持つことで、それまで同じに見えていたものの違いを認識できるようになるからだ。
たとえば、「高級感がある」という言葉がある。
しかし、高級感にもさまざまな種類がある。
- 重厚なのか。
- 端正なのか。
- 静謐なのか。
- 華美なのか。
- 権威的なのか。
- 職人的なのか。
- 伝統的なのか。
- 知的なのか。
- 抑制が利いているのか。
同じ高級感でも、目指すべき表現はまったく違う。
「もっと高級感を出してください」とだけ伝えても、制作者は何を変えればよいのか分からない。
一方で、
「現状は装飾の多さによって高級感を出そうとしているが、このブランドに必要なのは華美さではなく、素材や余白によって生まれる静かな上質感ではないか」
と伝えられれば、デザイナーもカメラマンもコピーライターも、次の打ち手を考えられる。
言葉が増えることで、単に説明が上手になるのではない。
比較できるものが増え、選択できる方向が増え、修正できる箇所が増える。
語彙力とは、表現力である以前に、物事を見る解像度なのだと思う。
プロに必要なのは、評価語ではなく診断語である
- 「良い」
- 「分かりやすい」
- 「ブランドらしい」
- 「イケている」
こうした言葉は、全体を評価する言葉としては便利である。
ただし、改善や再現を行うためには、それだけでは足りない。
たとえば、「この商品ページは分かりやすい」と感じたとする。
- その分かりやすさは、情報量が少ないからなのか。
- 情報の優先順位が明確だからなのか。
- 選択肢の違いを比較しやすいからなのか。
- 専門用語が顧客の言葉に翻訳されているからなのか。
- 顧客が疑問を持つ順番に沿って、情報が配置されているからなのか。
- 次に取るべき行動が明示されているからなのか。
ここまで分解できて、初めて別の商品ページでも再現できる。
プロに必要なのは、評価語を禁止することではない。
評価語の裏側にある構造を説明するための、診断語を持つことである。
センスがあるとは、単に良いものを感じ取れることではない。
感じ取った差を言語化し、他人に渡し、別の場所でも再現できることまで含めて、仕事としてのセンスなのだと思う。
それでも私は、「イケているものを作ってください」と伝える
ここまで細かく言語化の重要性を書いてきたが、私自身、制作現場であえて、
「イケているものを作ってください」
と伝えることがある。
これは、細かく説明できないからではない。
プロジェクトの目的、ブランドの背景、顧客像、競合との差、今回守るべきもの、挑戦してよい範囲などを十分に共有したうえで、最後は相手の専門性に委ねたいからである。
何も説明せず、最初から「イケている感じでお願いします」と言うのであれば、それは丸投げに近い。
一方で、何度も議論し、参考事例を見て、良いものと悪いものの違いを確認し、互いの感覚をすり合わせた後で使う「イケている」は、それまでの文脈を一言に圧縮した指示になる。
細かく指定すればするほど、良いディレクションになるわけでもない。
文字の大きさ、余白、写真の角度、コピーの言い回しまで、すべてを発注側が指定してしまえば、制作者の専門性や創造性を奪うこともある。
プロの言語化とは、すべてを説明し尽くすことではない。
どこまで言葉にし、どこから先を相手に任せるかを判断することでもある。
説明したうえで、最後は「イケているものをお願いします」と任せる。
その一言が成立する関係を作ることも、プロジェクトにおける重要な仕事である。
「それはcoolなのか」は、儲かるかとは別の問いである
「イケている」「cool」という言葉は、クリエイティブだけに使われるものではない。
企画や企業の行為についても、
「それはイケているのか」
と問うことがある。
- 売上は上がるのか。
- 利益は出るのか。
- 法律上の問題はないのか。
- 顧客に受け入れられるのか。
そうした問いとは別に、
それをやる自分たちは、果たしてイケているのか。
という問いが存在する。
その中には、
- 自分たちらしいのか。
- 顧客に対して誠実なのか。
- 弱い立場の相手につけ込んでいないか。
- 短期的な利益に寄りすぎていないか。
- プロとして胸を張れるか。
- 数年後に振り返ったときに恥ずかしくないか。
- その振る舞いには美意識があるか。
- 筋が通っているか。
といった、さまざまな判断基準が含まれている。
たとえば、法律には違反していない。
利益も出る。
業界では多くの会社がやっている。
顧客もすぐには気づかない。
それでも、
「でも、それを我々がやるのはイケていないのではないか」
と問うことはできる。
これは利益を否定する話ではない。
企業である以上、利益は必要である。
ただし、儲かるという一つの評価軸だけで、あらゆる意思決定を正当化してよいのかという問いを残している。
一見すると軽い「イケている」という言葉が、実際には拝金主義や過度な合理主義に対する、小さな抵抗として機能することがある。
「正しい」と「イケている」は、少し違う
「正しいことをしているか」という問いには、法律、倫理、規則、社会通念など、外部に存在する基準が含まれやすい。
一方で「それはイケているのか」という問いには、外部の基準だけではなく、自分たちは何者なのかという内側の基準が含まれている。
正しいが、自分たちらしくないこともある。
効率的だが、美しくないこともある。
儲かるが、顧客に対して誠実ではないこともある。
反対に、短期的には少し損をしても、長い目で見れば信用やブランドを守る行動もある。
「イケている」という言葉は、経済合理性、倫理、自分たちらしさ、美意識、将来の評判などを、一度に考えるための圧縮ワードでもある。
それは、企業理念やバリューと近い役割を持つこともある。
ただし、「顧客第一」「誠実であろう」「挑戦しよう」といった理念は、そのままでは日々の小さな判断に当てはめにくい。
そんなとき、
「それ、我々がやることとしてイケているのか」
という少し砕けた問いが、理念と現場をつなぐ。
口語的で曖昧な言葉だからこそ、デザインから行動、経営判断まで、幅広い場面に適用できるのかもしれない。
組織に必要なのは、言葉の定義よりも感覚の共有である
会社で起きるすべての出来事を、ルールやマニュアルにすることはできない。
- トラブルが発生したとき、どの段階で顧客に報告するのか。
- 契約上の責任範囲だけを守るのか。
- 責任範囲を超えてでも、復旧を優先するのか。
- 利益と品質が衝突したとき、どちらを選ぶのか。
想定外の状況では、最後は個人の判断が必要になる。
そのとき、組織の中で、
「それは自分たちらしいのか」
「その対応はイケているのか」
という感覚が共有されていれば、細かな指示がなくても、ある程度同じ方向へ判断できる。
もちろん、「イケている」という言葉の定義を文書にすれば解決するわけではない。
何をイケていると考えるのかは、実際の仕事を通じて共有される。
- なぜ今回の判断が良かったのか。
- どこに誠実さがあったのか。
- 何が自分たちらしくなかったのか。
- どうすれば、もっと良い対応ができたのか。
そうした具体的な会話や事例が積み重なることで、組織の中に共通の感覚が育っていく。
圧縮された言葉が機能するためには、その裏側に豊富な会話と経験の蓄積が必要である。
おわりに|プロの語彙力とは、圧縮と展開を往復する力である
プロに必要なのは、曖昧な言葉を禁止することではない。
プロの語彙力とは
- 「イケている」という一言を、必要に応じて、デザイン、写真、情報設計、顧客体験、時代性、倫理、経済合理性、美意識、自分たちらしさへと展開できること。
- 細かく分解した要素を理解したうえで、最後にはもう一度、「だから、これはイケている」と一つに束ねられること。
言葉を細かく分けることしかできなければ、分析で終わる。
感覚だけで済ませれば、他人への共有も再現もできない。
複雑なものを分解し、また一つに統合する。
相手や場面に応じて、圧縮と展開を使い分ける。
それが、現場における本当の語彙力なのだと思う。
そしてプロであるならば、「イケている」という言葉を使ってはいけないのではない。
むしろ、その軽やかな一言の裏側に、何十通りもの言葉と思考を持っていなければならない。
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