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COLUMN

英語は、もはやファッションだと思う

スタッフの一人から、「英語学習について記事を書いてほしい」と言われた。

英語についてなら、これまで海外で生活したこともあるし、仕事でも使ってきたので、それなりに書けることはある。

ただ、いわゆる「英語ができるとキャリアの選択肢が広がる」とか、「これからの時代は英語が重要だ」といった話を書く気にはならない。

今の私の感覚に一番近いのは、英語はもはやファッションだ、というものだ。

もちろん、英語が不要になったとか、キャリア形成上重要ではない、という意味ではない。

実際、現在の仕事をしていても、社内にもう少し英語ができる人がいれば助かると思う場面は普通にある。海外企業との交渉や外国人と直接仕事をしたり、会食するのであれば、当然英語ができなければ話にならない。

一方で、「英語ができる」ということ自体の意味や希少性は、以前とはかなり変わってきたのは皆さんが感じている通り。

今回は英語の勉強方法の話をするというよりは、そもそも今の時代に「英語力がある」とはどういうことなのかを中心に持論を展開したい。

なお、このコラムは英語が既にある程度できる人向けではない。

英語を勉強しようかどうか迷っている人向けであるため、その辺りを踏まえて読んでいただきたい。

「英語ができる」ことの希少価値は下がっている

少し前まで、英語ができることにはかなり明確な希少性があった。

海外の情報を直接読む。英語で文章を書く。海外企業とコミュニケーションを取る。

こうしたことを自分でできる人が限られていたので、英語ができるというだけでも、一定の仕事上の価値になりやすかった。

しかし現在では、AIをはじめとしたテクノロジーによって、その差はかなり小さくなっている。

英語が読めることや、英語で文章を書けること自体に価値がなくなったわけではない。ただ、それだけで大きな差がつく時代ではなくなってきた。

だから私は、英語力の価値が下がったというより、英語力が持っていた希少価値が下がったのだと思っている。

では現在、「英語力があります」と言えるのは、そもそもどのような状態なのだろうか。

そもそも「英語力がある」とは何なのか

英語力そのものについては、それほど複雑に考える必要はないと思っている。

読む、聞く、話す、書く。

英語学習における能力は大きくこの4つに分けられるし、「英語力が高い」と言うのであれば、基本的にはこの4つがすべて高い水準にあることが前提になる。

ただし、実際に英語を使う場面になると、英語力だけをその人の素の能力と完全に切り出して考えることは難しくなる。

日本語でも語彙が豊富な人がいる。説明が上手な人もいれば、話が面白い人、たとえ話が上手な人、ユーモアのある人もいる。

そもそも自分の中に表現したいものがなければ、英単語を大量に知っていても表現は豊かにならない。

逆に、日本語なら非常に面白い話ができる人でも、それを英語に変換する語彙や表現を持っていなければ、英語になった途端に単調な人に見えてしまうこともある。

つまり、英語力は英語力として存在する。しかし、英語を通じて最終的に表に出てくるその人自身は、英語力と、その人が第一言語でもともと持っている能力の掛け合わせになり、いわゆる英語ができるかどうかというのは、その掛け算の結果を言われていると感じている。

英語力(読む・聞く・話す・書く)と、第一言語で持っている力(語彙・説明力・ユーモア・経験)の掛け算で、英語で表に出てくるその人が決まることを示す図
英語を通じて表に出てくるその人は、英語力と、第一言語で持っている力の掛け算になる

そして、英語力がある程度の水準まで上がってくると、今度は「意味が通じるかどうか」では説明できない差が出てくる。

その一つが発音だ。

文法的には正しいし、言いたいことも問題なく伝わる。それでも、発音やイントネーション、話すリズムによって相手が受ける印象はかなり変わる。

語彙力も重要だ。

ここでいう語彙力は、難しい単語をたくさん知っているという意味だけではない。

同じ内容を何通りにも言い換えられる。微妙なニュアンスを使い分けられる。その場に合った表現を選べる。ユーモアを交えて話せる。

そうした表現力の土台にも語彙がある。

そして、語彙や表現の選び方は相手によっても変わる。

英語を第一言語とするアメリカ人などを相手にする場合と、フランス人やスペイン人、あるいはアジア圏の人と英語を共通言語として話す場合では、伝わりやすい英語が必ずしも同じではない。

英語圏では日常的なphrasal verbでも、英語を第二言語として使う相手には伝わりにくいことがある。

一方で、フランス語やスペイン語、イタリア語などは英語と語源を共有する語彙も多い。そのため、たとえば turn in より submit、put off より postpone の方が、相手によってはむしろ理解されやすかったりする。

逆に、英語を第一言語とする人との会話では、慣用的な言い回しや少し大げさな表現まで含めて自然に共有できる。

たとえば、

She must be the last person on Earth without a cell phone.

と言えば、本当に「地球上最後の一人」だと言っているわけではないことは自然に伝わる。

しかし、英語を共通語として使っている相手に同じ表現をしても、そのニュアンスまで同じように理解されるとは限らない。

だから英語力が高いということは、難しい表現をたくさん使うことでも、ネイティブらしい言い回しを多用することでもない。

誰と話しているのかを見ながら、使う英語そのものを変えられることも重要になる。

そして、このあたりまで来ると、単純な語学力だけではなくなる。

相手の文化をどこまで理解しているか。

どんな経験をしてきたか。

何を共通の話題として持っているか。

冗談の背景にある文化を理解できるか。

こうしたものは厳密には英語力そのものではない。

しかし、「この人は英語ができる」と相手が感じるかどうかには、かなり大きく影響する。

一定の水準を超えた先の英語力は、TOEICやTOEFLのような試験のスコアだけでは捉えきれない部分がかなり大きいと思う。

誰から見て「英語ができる」のか

もう一つ重要なのが、誰から見て英語ができるのかという問題だ。

同じ英語力でも、評価する側によってその見え方はかなり変わる。

この記事では、便宜上、英語力を次の4段階に分けてみたい。

水準 状態
水準1:基礎的に使える 読み書きや簡単な会話ができ、多少詰まりながらでも意思疎通できる
水準2:実用的に使える 4技能が一定水準にあり、仕事や日常生活で英語を普通に使える
水準3:英語でも自分を表現できる 語彙や表現に幅があり、ニュアンスやユーモアまで含めて自分らしく話せる。相手によって英語も変えられる
水準4:言語による制約をほとんど感じない 発音、語彙、表現力、文化理解、瞬発力まで非常に高く、第一言語にかなり近い自由度で英語を扱える

もちろん、これは語学教育上の正式な分類ではなく、今回の記事を書くために私なりに整理したものだ。

これを「誰から見て英語ができると思われるか」で考えると、大体次のような感覚になる。

評価する側 「英語ができる」と感じる 英語力が尊敬につながる
英語ができない日本人 1〜2 2程度
英語ができる日本人 2 3以上
英語があまりできない外国人 1〜2 2程度
英語ができる非ネイティブ 2 2〜3以上
ネイティブ・バイリンガル 2 3〜4

英語があまりできない日本人から見れば、外国人と普通に会話をしているだけでも「英語がペラペラ」に見えることがある。

一方、自分自身も英語ができるようになると、それまで見えていなかった差が見える。

発音がどうなのか。どれくらい自然に言葉が出てくるのか。語彙に幅があるのか。同じ表現を繰り返していないか。相手によって話し方を変えているか。

ただし、非ネイティブからの評価はもう少し複雑だと思っている。

これはあくまで私自身の経験からくる主観だが、たとえば相手が中国人の場合、その人自身がかなり英語を話せるのであれば、少なくともその人と同程度以上に英語ができなければ、英語力そのものが尊敬の対象になることはあまりないように感じる。

日本人と中国人は、どちらも英語とはかなり異なる言語体系、文字体系の中で育っている。そのため、お互い「英語を習得するのが簡単ではない側」にいるという感覚があるのかもしれない。

一方、フランス人、スペイン人、イタリア人などと話していると、水準2程度でも英語力そのものを高く評価されることがある。

彼らからすれば、アルファベットとは全く異なる文字体系を第一言語として使っている日本人が英語を普通に話していること自体に、多少の驚きがあるのだと思う。

これは、もしスペイン人が日本人以上に中国語の読み書きをしていたら、自分がどう感じるかを考えると分かりやすい。

つまり、「英語ができる」という評価は絶対的なものだけではない。

相手自身の英語力、その人の第一言語、そして英語を習得するまでの距離感によっても変わる。

そして海外に出ると、もう一つ現実がある。

水準2程度であれば、英語で普通にコミュニケーションを取ることはできる。当然、仕事にも生活にも十分役立つ。

ただ、周囲も英語を使える環境では、それはあくまでコミュニケーションの手段でしかない。

英語ができること自体を一つの能力や魅力として評価してもらおうと思えば、水準3くらいまで行かないと、海外ではかなり苦労する。

おそらくこの水準3あたりから、私が言う「英語はファッション」という話が始まる。

意味が通じるだけではない。

どう話すか。どんな言葉を選ぶか。どんな発音をするか。どんな冗談を言うか。相手によってどう英語を変えるか。

英語が単なるコミュニケーションの道具ではなく、その人のスタイルの一部になる。

英語力の4つの水準を階段で示した図。水準1と水準2はコミュニケーションの手段、水準3からが「ファッション」になる
水準3あたりから、英語はコミュニケーションの手段ではなく、その人のスタイルの一部になる

水準3以上の英語力が必要になる仕事とは何か

では実際の仕事では、どこまでの英語力が必要なのだろうか。

英語を使う仕事であっても、水準2の4技能が一定水準にあり、仕事や日常生活で英語を普通に使える程度で、成立する仕事はかなり多い。

TOEICは受けたことが無いからわからないが、TOEFLなら80点くらいの水準だろう。

たとえば海外の取引先とメールをする。定例会議に参加する。仕様を確認する。外国人エンジニアに開発を発注する。納期や条件についてやり取りする。

こうした仕事では英語ができるに越したことはないものの、水準3以上である必要は全くない。

特に、目的や論点が明確な仕事では、その仕事について本人がどれだけ理解しているかの方が重要になる。

昔でいうオフショア開発なら、英語が流暢かどうか以上に、そもそも何を作りたいのか、どの仕様がおかしいのか、どの程度の工数が妥当なのかを判断できなければならない。

これは英語力とは別に、その人が第一言語でもともと持っていなければならない能力だ。

一方、水準3以上の英語力がかなり重要になる仕事もある。

違いを簡単に整理すると、次のようになると思う。

仕事・行為 英語力の目安
海外情報の収集、文章の読み書き 1〜2+AIでもかなり補完可能
海外ベンダーとの通常のやり取り 2
定型的な会議、仕様確認、進行管理 2
専門領域について説明・議論する 2〜3
複雑な条件交渉 3
新規顧客との営業・関係構築 3
外国人のマネジメント 3
経営者同士の議論、意思決定 3以上
英語圏の組織でリーダーシップを取る 3以上

この違いは、おそらく情報を正確に伝えれば仕事が成立するのか、自分自身を英語で表現する必要があるのかにある。

たとえば複雑な交渉では、こちらの条件を伝えるだけでは足りない。

なぜその条件が必要なのかを説明し、相手の反応をその場で理解し、どこまで譲歩するのかを考え、違う表現で説得し直す必要がある。

同じことを一つの言い方でしか表現できない人と、相手の反応に応じて何通りにも言い換えられる人では、当然交渉の自由度が違う。

外国人をマネジメントする場合もそうだ。

単純に業務指示を出すだけなら、水準2程度でも十分できる。

しかし、人を評価する。モチベーションを上げる。何か問題が起きたときに深く話す。自分が何を期待しているのかを微妙なニュアンスまで含めて伝える。

そこまで求められると、必要な英語力は一気に上がる。

営業も同じだ。

商品説明だけなら準備した内容を正確に話せればいい。

しかし、初対面の人と雑談をし、その場で相手の関心を探り、自分自身を知ってもらい、「この人と仕事をしたい」と思ってもらうところまで行くと、単に英語が通じるだけでは足りない。

つまり、水準3以上の英語力が重要になるのは、英語そのものが難しい仕事だからではない。

その仕事の中で、自分自身を英語でどこまで再現する必要があるか。

その要求水準が高いほど、水準3以上の英語力が効いてくる。

だから「英語を仕事で使いたい」と考えたときも、全員が水準3や4まで行く必要があるとは思わない。

何を英語でやりたいのかによって、必要な水準はかなり違う。

問題は、水準2から3まで行こうとすると、そこにはかなり大きな壁があることだ。

ファッションとして成立する英語力には、どれくらい時間がかかるのか

では、ここまで水準3と呼んできた状態まで行くには、実際どれくらいの時間が必要なのだろうか。

まず前提として言いたいことがある。

水準3には受験英語的なものだけでは足りないと言ってはいるが、受験英語は確実に英語力の向上に寄与するし、それなしで英語力を水準3まで持っていくのはほぼ不可能だと思っている、ということだ。

つまり机でカリカリ勉強する行為は避けては通れないと思っているということ。

ちなみに、日本人が英語を実用レベルまで習得するには、一般に累計2,000〜3,000時間程度の学習が必要とも言われている。

MBA合格水準だと3,000時間程度、毎日6時間勉強して500日だ。

資格試験などと比較すると、公認会計士試験が3,500〜4,000時間程度、司法試験も3,000〜5,000時間程度が一つの目安とされる。

もちろん単純比較はできないが、私がここでいう水準3まで英語力を高め、さらに海外での生活や実践経験まで積もうとすると、その投資は高度で一生食える系の資格取得に匹敵するかそれ以上に大きい。

そう考えると、英語はやはりかなり高価なファッションだと思う。

そしてそれだけの時間とお金を投資してもなお、私自身の経験からくるかなり主観的な意見だが、「ファッションとして成立する英語力」を身につけるのであれば、海外への複数年以上の留学や居住経験は、ほぼ必須に近いと思っている。

出会ったことは無いが、日本にいながら非常に高い英語力を身につける人はいるのかもしれない。

逆に、海外に何年住んでもほとんど英語が上達しない人も結構いる。

海外に住めば自動的に水準3になれるという話ではない。

それでも海外経験が大きいと思う理由は、単純に英語を使う時間が増えるからではない。

むしろ重要なのは、英語力の周辺にあるものを大量に経験することだと思う。

私が「複数年」と考えるのは、これまでに話してきた英語力の周辺領域が短期間ではなかなか蓄積されないと感じるからだ。

半年や一年の留学でも、英語力そのものは大きく伸びる。

特に、海外で英語がしっかりと使えないがために恥をかく経験は重要だ。ビジネスでの英語でのやり取りだと、相手が稚拙な英語だったとしてもフォローしてくれたりする。ビジネスだからだ。

しかし、そういった利害関係のない学校などとなると、英語が正しく使えないと相手にされない。

そういう経験を繰り返すことで、初めて英語が勉強して身につけた外国語から、自分自身を表現する言語に近づいていく。

また、英語は覚えることよりも忘れていくこととの戦いが辛い。

そのためには言葉を覚えるというよりは、シチュエーションで記憶している必要がある。

ファッションとして英語を成立させるために必要なのは、文法的に正しい文章を作れることだけではない。

「この人は英語ができる」という印象をつくるもの

  • 発音
  • 語彙
  • 表現
  • ユーモア
  • 文化への理解
  • 経験
  • 相手に応じて英語を変える感覚

それらが全部混ざった結果として、「この人は英語ができる」という印象になる。

さらっと書けると思ってここまで書いてきてみたが、意外と言いたいことが多く、時間がかかった笑

参考になったかどうかはわからないが、英語学習というのは中途半端にやるなら現在そこまでのハードルでない一方で、価値もあまりない。

ただし、突き抜ければ、ファッションとしての価値は非常に高い、と私は感じているという次第。

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