アイゼンハワーマトリクスは、仕事を整理するうえで非常に優れたフレームワークです。
やるべきことを「緊急度」と「重要度」の二軸で分類し、何から着手するのか、何を後回しにするのか、何を人に任せるのか、何をやめるのかを考える。
限られた時間の中で仕事を進めるうえでは、とても合理的です。私自身、この考え方を良く使いますし、もちろん否定するつもりはありません。
ただし、特に若手や駆け出しの人材育成について考えるとき、このフレームワークだけでは説明できないことがあります。
それは、目の前の問題を解決できることと、人が成長することは同じではないということです。
仕事を終わらせることと、実力が身につくことは違う
例えば、ShopifyでECサイトを構築している最中に、分からないことが出てきたとします。
- Googleで検索する。
- LLMに質問する。
- 提示されたコードを試す。
- 無事に動くようになる。
仕事の進め方としては正しいです。むしろ、検索やLLMを積極的に使い、目の前の問題を素早く解決するべきでしょう。
しかし、問題が解決したことと、本人の実力が上がったことは必ずしも同じではありません。
- なぜその問題が起きたのか。
- なぜその方法で解決したのか。
- 背後にどのような仕組みがあるのか。
- 条件が変わった場合にも同じ考え方が使えるのか。
こうしたことを理解していなければ、同じ問題が少し形を変えて現れたとき、再び検索やLLMに答えを求めることになります。
英語も似ています。
英語でメッセージが届くたびに、「どう返せばよいですか」とLLMに聞けば、その場のコミュニケーションは成立します。
しかし、それを何百回繰り返しても、文法や語彙、文章の構造を体系的に学ばなければ、英語を使える人になったとは言いにくい。
答えにたどり着いたことと、答えを生み出せるようになったことは違います。
「知る」「知った」を成長の定義にしてはいけない
私は特に、社会人に成り立てのスタッフに対して、成長の定義を「知ること」や「知ったこと」に置いてほしくないと思っています。
- 知らなかった用語を知った。
- LLMの説明を読んだ。
- 問題の解決方法を一つ覚えた。
もちろん、これらも学びの一部です。
しかし、知識が実力になるには、個別の情報を得るだけでは足りません。
背景にある原理を理解し、他の知識とつなげ、自分の言葉で説明し、別の状況へ応用できるようになる必要があります。
そして最終的には、正解が分からない問題に対して、自分なりの仮説を立てられる状態まで進まなければなりません。
成長とは、知っていることが増えることではない。知っていることを使って、考えられる範囲が広がることです。
個別の知識がつながり、構造が見えるようになったとき、知識は知恵に変わります。
緊急性の低い学びは、後回しになるのではなく、行われない
目の前の仕事には、納期や依頼者が存在します。
顧客からの問い合わせ、エラー対応、資料の提出、会議、修正依頼。こうした仕事は放置できないため、本人の意思が多少弱くても進んでいきます。
一方で、基礎を体系的に学ぶことには、明確な締切がありません。
- 本を一冊通して読む。
- ShopifyやWebの全体構造を理解する。
- AIの仕組みを学ぶ。
- 自分の仕事を振り返る。
- 興味を持った技術を実際に触ってみる。
これらは、今すぐやらなくても誰かに怒られるわけではありません。
そのため、多くの場合は「今の仕事が落ち着いたらやろう」と考えます。
しかし、仕事が完全に落ち着く日は、ほとんど来ません。今の仕事が終われば、また新しい仕事が入ってきます。
緊急性の低い領域にある学びは、単に着手順が遅くなるのではなく、実行されないまま消えていくことの方が多いのです。
締切のある仕事は、放っておいても進みます。
締切のない成長は、自分で時間を作らなければ始まりません。
もう一つ私自身の話もさせてもらうと、私は毎週水曜日の終業後にスタッフと一緒に皇居ランをやっていて、3年継続しています。
キャリア、年収、会社の売上、顧客満足度という軸だけで判断すれば、皇居ランは全くもって優先度は高くない。もはや学習ですら無いのかもしれません。
それでも継続するのは、
皇居ランを継続できる自分でありたい
という感覚があるからです。
皇居ランそのものが私の年収を上げるわけではありません。
ただ、それを継続できる人は、体系的な学習や長期的な積み上げも実行できる可能性が高い。
何よりどんな人間でありたいかという人格特性の部分以外は最終的に何も残らないと思っています。
正しい言葉が、やらないための言い訳になることがある
「やらないことを決める」
「ワークライフバランスを大切にする」
「得意なことに集中する」
いずれも、本来は非常に重要な考え方です。
ただし、正しい言葉だからこそ、自分がやらないことを正当化するためにも使えてしまいます。
正しい言葉が言い訳になるとき
- 今は優先順位が低い。
- 無理をする必要はない。
- 効率よく働くべきだ。
- プライベートも大切にしたい。
一つひとつの言葉は間違っていません。
しかし、それらをすべて自分に都合よく使えば、苦手なこと、成果がすぐに見えないこと、習得に時間がかかることを避け続けることもできます。
ここで、休むことや生活を大切にすることを否定したいわけではありません。
自分がやらない理由を、もっともらしい概念で正当化していないか。
そこは一度、余裕がある時に考えた方がよいと思っています。
学ぶことは後からでもできる。しかし、時間は取り戻せない
人生やキャリアには、タイミングがあります。
すべてを若いうちに習得しなければならない、という単純な話ではありません。何歳になっても学ぶことはできます。
ただし、駆け出しの時期には、その時期ならではの特徴があります。
- 基礎的な質問をしやすい。
- 失敗が許容されやすい。
- 役割や責任がまだ限定されている。
- 学んだ知識を、その後長く使うことができる。
年齢や役職が上がれば、マネジメント、売上責任、意思決定、部下の育成、家庭など、自分の時間を必要とするものが増えていきます。
後から同じ知識を学ぶことはできます。
しかし、早く学んだ人は、その知識を持った状態で何年も実務経験を積んでいます。
後から追いつくには、同じ知識量を身につけるだけでは足りません。その人が知識を使って積み上げた経験まで追いかけなければならないからです。
学ぶことは後からでもできます。しかし、学んだ自分として経験を積めたはずの時間は、後から取り戻せません。
だからといって、自分の成長に全振りすればよいわけではない
ここまでの話を、若いうちは自分の将来価値を最大化すること「だけ」に集中するべきだと受け取ってほしいわけではありません。
自分にとって将来役立つか。
スキルシートに書けるか。
転職市場で評価されるか。
それだけを判断基準にすると、人は目的人間になっていきます。
- 自分の評価につながらない仕事を避ける。
- 地味な調整役を引き受けない。
- 後輩を助ける時間を無駄だと考える。
- 情報共有やチームのための準備を軽視する。
- 自分の担当範囲だけを効率よく終わらせる。
本人の市場価値は上がっているように見えても、チーム全体としては弱くなってしまいます。
チームワーキングは、資格のように取得日を書けるものではありません。スキルシートにも、明確には表現しにくいかもしれません。
それでも、実際の仕事において最も重要なスキルの一つです。
- 周囲の状況を理解する。
- 自分の知識を共有する。
- 相手の強みを生かす。
- 必要なときには役割を越えて助ける。
- 意見の違いを調整し、チームとして成果を出す。
私がアメリカのMBAに通っていたときも、授業の最初から最後まで繰り返し強調されていたのが、チームで成果を出すことの重要性でした。
アメリカは、個人の自由や自己決定を重視する国というイメージがあります。だからこそ、当時の私には少し意外でした。
しかし、多様な意見や専門性を持った人が集まるからこそ、チームワーキングが必要になるのだと思います。
個人の能力を高めることと、チームで働く力を身につけることは対立しません。
成長とは、自分一人でできることを増やすだけではない。周囲と協力し、チームとしてできることを増やすことも成長です。
若いうちに必要なのは、ただ長く働くことではない
「若いうちは学ぶべき時期だ」という話をすると、「若いうちは長時間働くべきだ」という主張に聞こえるかもしれません。
しかし、会社の仕事を長時間こなすことと、自分の能力を体系的に育てることは別です。
- 言われたタスクを大量に処理する。
- 休日まで会社の仕事をする。
- 長時間働いたこと自体に満足する。
それだけで、知識が知恵に変わるわけではありません。
むしろ、会社から与えられたタスクだけで時間が埋まれば、体系的な学びや振り返りは起こりにくくなります。
若いうちに必要なのは、ただ長く働くことではありません。
経験を知恵に変えるための土台を作り、良い習慣を身に付けることです。
LLM時代だからこそ、体系的な学びが重要になる
LLMは、知識へのアクセスを劇的に改善しました。
- 分からないことを説明してくれる。
- コードを書いてくれる。
- エラーの原因を推測してくれる。
- 文章を翻訳してくれる。
- 仮説のたたき台も作ってくれる。
非常に便利ですし、使わない理由はありません。
ただし、基礎的な理解がなければ、回答が正しいかどうかを判断できません。
- 質問に含まれている前提の誤りにも気づけない。
- 表面的に問題が解決したことで満足してしまう。
- 事例のない問題に出会うと、何を聞けばよいのか分からない。
AIは「知る」までの時間を短縮してくれます。
しかし、「考えられるようになる」までの過程を、すべて代行してくれるわけではありません。
情報へのアクセスの差が小さくなる一方で、情報を構造的に理解し、知恵として使える人との差は、むしろ広がっていく可能性があります。
フロンティアには、検索できる正解がない
私たちが関わっているShopifyやAI、新しい顧客体験の領域には、まだ十分な事例や確立された正解がありません。
すでに誰かが解いた問題であれば、検索やLLMによって答えにたどり着けます。
しかし、誰もやったことのないことに取り組むときには、検索しても答えは出てきません。
- 構造を理解する。
- 異なる知識を接続する。
- 自分で問いを立てる。
- 仮説を作る。
- チームで意見を出し合う。
- 検証し、自分たちなりの答えを作る。
こうした力が必要になります。
そして、その力は、目の前の問いに対する答えだけを集めても身につきません。
専門性を持った個人が、知識を持ち寄り、チームでまだ答えのない問題に向き合う。
それが、フロンティアを切り開くということだと思っています。
アイゼンハワーマトリクスが教えてくれないこと
アイゼンハワーマトリクスは、今日の仕事をどう処理するかを教えてくれます。
- しかし、知識をどう知恵に変えるのか。
- いつ体系的に学ぶべきなのか。
- 誰にも求められていない時間をどう使うのか。
- 自分の成長とチームへの貢献をどう両立するのか。
- 未知の問題を解ける人にどう成長するのか。
そこまでは教えてくれません。
目の前の問題を解くことは大切です。
しかし、目の前の問題を解き続けるだけでは、未知の問題を解ける人にはなれません。
成長とは、知識を得ることでも、自分の市場価値だけを高めることでもない。
知識を知恵に変え、自分で考え、周囲と協力しながら、まだ答えのない問題に向き合えるようになることです。
そして、学んだ状態で経験を積めたはずの時間は、後から取り戻すことができません。
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