最近、ピザ作りにハマっている。ということはこれまでの記事でも報告してきた。
ハマりすぎて、家にはピザ窯があり、生地をこねるための機械もある。小麦粉の種類、加水率、イースト、発酵時間、窯の温度なども少しずつ試しながら、それなりにピザらしいものを焼けるようになってきた。ということも書いてきた。
今回の話は先日ピザ作りに大失敗した経験からの学びを伝えたいと思い記事にした。もちろんピザの話というよりは仕事に接続される話であるが。
ピザ作ろうと思った時に、最初は動画で紹介されているレシピを、そのまま真似していた。
強力粉は何グラム、水は何グラム、イーストは何グラム、塩は何グラム。書いてある通りに計量し、書いてある通りにこね、書いてある時間だけ発酵させる。
多少品質に不満はあっても、基本的にはピザになる。ピザはまずく作る方が難しい。
しかし、慣れてくると少しずつアレンジをし始める。
私は、健康のために生地の塩を減らすことにした。
塩は味付けだと思っていた。多少減らしても、生地の味が薄くなるくらいだろう。そう考えて、レシピよりかなり少ない量しか入れなかった。
すると、生地がまとまらない。
伸ばそうとしても張りがなく、きれいな円形にならない。打ち粉を増やさないと扱えず、窯に入れる際にも張り付く。焼き上がりも軽さがなく、思ったように膨らまない。
私は当然、別の原因を疑った。
小麦粉が悪いのか。加水率が高すぎるのか。こね時間が足りないのか。冷蔵発酵が短いのか。イーストの種類が違うのか。窯の温度が低いのか。
ピザ作りの動画を見ても、話題になるのはだいたいその辺りである。
塩はどのレシピにも書かれているが、塩の役割が詳しく解説されていることはほとんどなかった。
ところが、結果として原因は塩だった。
適正な量に戻したところ、生地の張りも、成形のしやすさも、焼き上がりも、目に見えて改善した。
健康のために数グラムの塩を減らしただけなのに、私はなぜか、仕事における学習や専門性、AI時代の人材、会社の将来についてまで考えることになってしまった。
誰も話題にしない塩が、生地を成立させていた
塩は、単なる味付けではなかった。
生地の構造を安定させ、扱いやすさや発酵にも影響する。つまり、ピザ生地をピザ生地として成立させるための、重要な構成要素だった。
しかし、私はその原理を知らなかった。
レシピに塩と書いてあるから入れていただけで、なぜ必要なのかは理解していなかった。
そのため、条件を変えた瞬間になぜ上手くいかないのか分からなくなった。
ここで気づいたのは、レシピとは非常に優秀な仕組みだということである。
レシピは、過去に誰かが積み重ねた研究や失敗、化学的な原理、経験則を、誰でも再現できる手順へ圧縮している。
原理を知らなくても、書いてある通りに実行すれば、それなりの成果物ができる。
仕事に置き換えれば、マニュアルやテンプレート、チェックリスト、過去の提案書、設計書なども同じである。
これらはすべて、原理を十分に理解していない人でも、一定水準の仕事ができるようにするための知恵である。
組織を運営するうえで、それ自体は非常に重要だ。
しかし、レシピには弱点がある。
条件が変わった途端に、使えなくなる可能性があるということだ。
「塩を7グラム入れる」と知っていることと、「なぜ7グラム必要なのか」を理解していることは、まったく違う。
手順を知っている人は、条件が同じなら再現できる。
原理を理解している人は、条件が変わっても考えられる。
この差が、模倣と専門性の境目なのだと思う。
原理を知らないと、人は症状を原因だと思う
今回私は目に見える問題を直接的な因果関係を元に改善しようと試みていた。
- 生地が張り付くから、打ち粉を増やす。
- 生地が伸びないから、加水率を変える。
- 膨らまないから、イーストや発酵時間を疑う。
- 焼き上がりが重いから、窯の温度を上げる。
どれも、症状に対する対処としては間違っていないように思えた。しかし、最終的な成果物であるピザは一向に美味しくならない。
本当の原因は、すべての症状から少し離れたところにあった。
塩だ。
これに気づけたのは、今回はたまたま別の料理の動画で塩の重要性を味付けではなく説明していたのを聞いたからである。
仕事でも同じようなことが起きる。
ECの売上が落ちたとき、広告を増やす。サイトを改修する。メールの配信回数を増やす。購入ボタンの色を変える。
もちろん、それらが有効な場合もある。
しかし、本当の原因が商品、価格、顧客設定、ブランド認知、在庫、配送、社内体制にあるなら、表面をいくら直しても成果は出ない。
プロとは、目の前の症状を素早く処置できる人だけではない。
プロとは、症状を生んだ構造まで遡れる人である。
そのためには、手順より一段深い原理の理解が必要になる。
第一領域の課題が、第二領域の学習を強制する
私は、ピザ生地における塩やグルテンの役割を、以前から勉強したかったわけではない。
失敗したから調べた。
しかも、原因が分からず、次に焼いてもまた失敗しそうだったから、仕方なく原理まで遡った。
これは仕事でもよくある。
原理の学習は重要だが、緊急ではない。
目の前の案件を進める方が先であり、顧客への返信、資料作成、実装、社内会議などに押され、基礎的な勉強は後回しになる。
アイゼンハワーマトリックスでいえば、原理学習は第二領域に置かれやすい。
ところが、実際に大きな失敗が起きると、それは突然、第一領域になる。
今すぐ原因を突き止めなければならない。今すぐ理解しなければ、仕事が前に進まない。
第一領域の課題が、第二領域の学習を強制する。
これは学習の強い契機になる。
ただし、会社の本番業務で、毎回大きな失敗を起こしてから原理を学ぶのは、あまりにもコストが高い。
だからこそ、失敗が起きる前に原理を学んでほしいと、経営者や上司は考える。
しかし、ここで問題が起きる。
多くの人は、原理を理解した方が有利だということ自体は知っている。
それでも、どこまで学ぶかで立ち止まる。
原理を学ぶことは、なぜ面倒なのか
原理学習には、終わりが見えにくい。
Shopifyを例にすれば、管理画面の操作を覚えるだけ、ページ制作の方法を実務を通して学ぶだけ、必要な範囲は比較的分かりやすいし、動機も明確だ。
しかし、なぜその機能が存在するのか、通販という仕組みがどのようにつながっているのか、Shopifyのアーキテクチャーは、メールの仕組みは、HTTPとは、プログラムは何故動くのかなど、原理を学ぶという範囲は言い出したらキリがない。
しかも、そこまで詳しくなったとして、それが自分の将来にどのようにつながるのかは分からない。
- Shopifyが今後も成長する保証はない。
- AIによって、今覚えている実装方法が無価値になるかもしれない。
- ECという業界自体の成長が鈍化する可能性もある。
そう考えると、深く学ぶことに懐疑的になるのは、必ずしも怠惰だからではない。
投資回収が見えにくいのである。
ただ、ここには一つ落とし穴がある。
将来価値が下がる可能性があるからと、どの領域も表面的にしか学ばず、次々と別の分野へ移動していくと、どこへ行っても手順を覚えるところから抜け出せない。
一つの領域を原理まで理解し、条件が変わっても自走できるところまで到達した経験は、次の分野にも持ち込める。
Shopifyの細かな仕様は変わる。
しかし、顧客の要求を分解し、制約を理解し、複数の選択肢を比較し、保守性やコストを含めて判断する能力は残る。
最初の専門領域は、一生使い続ける武器とは限らない。
それでも、専門家になる方法を覚えるための訓練場にはなる。
成果物と自分を切り離せるようになった瞬間、人は急激に成長する
原理を学ぶためには、知識だけでなく、フィードバックを受け取る姿勢も必要になる。
これは、妻の料理を見ていても感じる。
料理を始めたばかりの頃は、「もう少し塩があった方がよい」「少し火を通しすぎたかもしれない」と伝えると、料理への指摘が本人への批判として感情的に受け取られやすかった。
しかし、料理が上達し、改善そのものを楽しめるようになると、反応が変わった。
「では次はどう変えればよいか」と、指摘を次の実験材料として扱うようになった。
評価の対象が、「自分」から「今回の成果物」へ移ったのである。
研究者は、仮説が外れたからといって、自分の人格を否定されたとは考えない。
今回の仮説が違った。では、条件を変えて次を試す。
その繰り返しである。
成果物と自分を切り離せるようになった瞬間、人は急激に成長する。
逆に、成果物への指摘を人格への攻撃として受け取っている間は、学習のたびに強い心理的コストが発生する。
知識を増やす前に、失敗や指摘を実験データとして扱える状態を作る必要があるのかもしれない。
AIは、原理を知らなくても成果物を作れてしまう
AIは、学習にかかるコストを劇的に下げた。
分からないことを質問すれば、概要を説明してくれる。コードも書く。文章も整える。分析の観点も出す。提案書の構成も作る。
これは間違いなく便利である。
私自身、毎日のように使っている。
一方で、AIは、これまで人を学習へ向かわせていた「仕事が止まる」という経験も減らしている。
以前は、分からない、成果物が作れない、仕方なく勉強する、という流れがあった。
現在は、分からない、AIに聞く、それらしい成果物が完成する、という流れが成立する。
成果物の見た目もよいため、本人も周囲も、原理を理解していないことに気づきにくい。
だから、AI時代に価値が下がる人を、「原理を知らない人」と表現するだけでは不正確だと思う。
原理を知らない状態は、誰にでもある。
問題は、その状態から先へ進もうとするかどうかである。
AI時代に価値が下がる人
- AI時代に価値が下がるのは、原理を知らない人ではない。
- 原理を知らないままでも成果物が出せることに満足する人である。
AIは原理学習を不要にするものではないというのは仕事でAIを活用している人からすると常識だろう。
AIの成果物を評価し、どこをどう修正する必要があるかは原理を知っていないとできないことだ。
そのため、原理を理解している人が使えば、仮説検証や実行の速度を大幅に高められ、既に原理を知っている人とそうでない人で、AI活用においても大きな差が生まれている。
しかしながら、AIの進化もまた日進月歩で、そのうちより高度な成果物を原理がわからなくてもアウトプット出来てしまい、原理を持つ人と持たない人の差が、成果物の見た目からは分かりにくくなる可能性は非常に高い。
そして、見えない理解不足による失敗や品質上の負債は、最後には上司、会社、顧客の側へ移転される。
原理を理解すると、初めて自走できる
原理を理解した人は、条件が少し変わっても、自分で考えられる。
前例がなくても、何が変数で、どこに制約があり、何を調べるべきかを判断できる。
ここまで到達すると、単に仕事を処理する人ではなく、一定の領域で価値を生み出せる専門家になる。
私は、人の成長を次のように捉えられるのではないかと思う。
専門家になるまでの段階
- 手順を模倣する。
- 原理を理解する。
- 個別のケースで判断する。
- 自走して、より広いニーズに対応する。
- 判断基準を言語化し、仕組みに変える。
- 他の専門性と接続する。
原理の理解はゴールではない。
原理を理解することで、ようやく応用と判断が始まる。
さらに、その判断をテンプレート、教育、業務プロセス、ソフトウェアへ変えれば、自分一人の稼働を超えて価値を広げられる。
個人のスキルが、組織の能力へ変わる。
専門性の価値が下がるのではない。専門性だけでは解けない問題が増える
会社の売上が落ち、それが長期化すれば、社員が「ECという領域に将来性はあるのか」と不安になるのは自然なことである。
私自身、ECやShopifyの未来について考えることがある。
しかし、ECがなくなるわけではない。
オンラインで商品を探し、比較し、購入し、決済し、配送を受けるという行為は、すでに社会の基盤になっている。
ECの知識が突然無価値になるのでもない。
起きているのは、求められる価値の単位が上がっているということだ。
以前は、ECサイトを作れるだけで価値があった。
次に、Shopifyを使えることが差別化になった。
現在は、ECサイトを作るだけでは十分でなくなりつつある。
OMO、グローバルEC、ブランディング、基幹連携、セキュリティ要件などなど、顧客が求める成果が、より上流へ移っているからである。
専門性の価値が下がるのではない。
専門性だけでは解けない問題が増える。
ただし、浅い知識を複数並べればよいわけではない。
ECを浅く理解し、AIも浅く理解し、ブランドも浅く理解したとしても、大きな問題を解けるとは限らない。
一つの領域を原理まで理解しているからこそ、隣接領域を学んだときに接続点が見える。
ECの構造が分かっている人がCRMを学べば、顧客ID、購買履歴、同意、セグメント、配信、LTVが、どこでつながるかが見える。
ECの構造が分かっている人がブランドを学べば、商品、価格、レビュー、リピート、海外展開との関係が見える。
知識が増えることより、知と知の間に線を引けることが価値になる。
次に何と接続するか。ここからは潮流を読むゲームになる
一つの領域で原理を理解し、自走できるようになるまでの成長は、比較的分かりやすい。
学べば詳しくなる。
試せば精度が上がる。
経験が増えれば、対応できる案件も増える。
しかし、一定の専門性を獲得した後には、別の難しさが現れる。
次に何を学ぶべきなのか。
AIなのか。CRMなのか。ブランドなのか。越境なのか。データなのか。まったく別の市場なのか。
ここでは、努力すれば正解に到達できるとは限らない。
人の成長の前半は、能力を高めるゲームである。
しかし、後半になると、どこへ能力を投じるかという探索と資源配分のゲームになる。
そして、次に大きくなる市場や技術を読むには、複数の流れがどこで合流するかを見る必要がある。
YouTubeは、複数の自然な流れが合流して生まれた
以前、妻との何気ない会話の中で、「なぜYouTubeはここまで普及したのか」という話になった。
私は、SNSの時代だったことが大きかったのではないかと答えた。
考えてみれば、YouTubeが広がった背景には、一つの理由だけでは説明できない、さまざまな流れがあった。
- 通信環境が改善した。
- 撮影機材や編集環境が安くなった。
- スマートフォンが普及した。
- 個人が発信することへの心理的なハードルが下がった。
- SNSでコンテンツを共有する文化ができた。
- テレビ局や企業だけでなく、個人も広告収益を得られるようになった。
- 見る側も、決められた番組ではなく、自分に合うコンテンツを選びたくなった。
YouTubeが、これらすべての流れを作ったわけではない。
社会の中ですでに流れていた複数の川が、一か所へ合流した。
以前、ホロライブの成長について考えた際にも、似た構造があった。
- 配信者は表現したい。
- ファンは応援したい。
- 切り抜き制作者は、面白い場面を共有したい。
- 新しい視聴者は、短時間でコンテンツを発見したい。
- プラットフォームは、滞在時間を伸ばしたい。
誰か一人が全員へ命令しているわけではない。
それぞれが、自分にとって自然な便益を追求した結果として、全体のフライホイールが回る。
潮流とは、誰かが上から作るものではない。
複数の主体が自分の欲求に従って動いた結果、同じ方向へ流れ始めることである。
大きな市場は、最初から立派な事業計画として現れるとは限らない。
遊び、趣味、奇妙な行動、非効率な手作業として始まる。
経済合理性ではまだ説明しにくいのに、人が摩擦を超えて続けていること。
頼まれていないのに、周辺で誰かが勝手に作り始めること。
そこに、自然な流れの兆候がある。
しかし、一人の人間がすべての川を読むことはできない
問題は、その合流を事前に見極めることが非常に難しいことである。
YouTubeの未来を完全に予測するためには、通信、半導体、端末、広告、SNS、映像文化、若者の行動、著作権、クリエイター経済など、複数の領域を見なければならなかった。
一人の人間が、そのすべてを高い解像度で理解することはほとんど不可能である。
後から見れば必然に見える。
しかし、発生前には大量のノイズに埋もれている。
- どの技術が普及するのか。
- どの行動が一時的な流行で終わるのか。
- どこで収益化が成立するのか。
- どのタイミングで社会の受容が進むのか。
完全に当てることはできない。
「時代を読め」「次に伸びる市場を選べ」と言うだけでは、精神論になってしまう。
市場選択には、どうしても運が入る。
ただし、運が入るから、何も考えなくてよいわけでもない。
- 人々が不便を抱えながら、すでに何を始めているのか。
- お金にならなくても続けている行動は何か。
- 一つの行動が、別の誰かの自然な行動を誘発しているか。
- 参加者それぞれに、独立した便益があるか。
すべてを予測することはできなくても、流れの傾きを観察することはできる。
それでも、最後には不確実性が残る。
だから私は、未来の技術や市場だけを見て、会社の方向性を決めるのは危険だと思う。
未来を当てられなくても、本質的な顧客欲求は見失わない
BtoBにおいて、究極的に変わりにくいものは、売上や利益といった顧客側の目的である。
- 企業は、売上を増やしたい。
- 利益を残したい。
- コストやリスクを減らしたい。
- 意思決定を速くしたい。
- 顧客との関係を強くしたい。
- 競争優位を作りたい。
Shopify、AI、CRM、広告、データ、ブランドは、その目的を実現するための手段である。
手段は増え、高度化していく。
競争によって、よりよいサービスが世の中に流通する。
これはクライアント側にとって、当然良いことである。
ECサイトを作るだけだった会社が、売上、顧客基盤、ブランド、店舗、海外展開、業務効率まで含めて支援する会社に競争で負けるなら、それは自然なことである。
そこから目を逸らし、自分たちが持っている手段だけを守ろうとする会社が淘汰されるのも当然である。
Shopify会社だから、Shopifyを売る。
広告会社だから、広告を売る。
AI会社だから、AIを売る。
その瞬間、手段が目的化する。
会社が守るべきなのは、特定の技術ではない。
変わらない顧客目的を見続け、その時代で最善の手段を組み替えること。
潮流を読み違えることはある。
新しい技術への投資が外れることもある。
それでも、顧客が本質的に何を達成したいのかを見失わなければ、手段を持ち替えることはできる。
AIに適応した社会でも、人間の根源的な欲求は変わらない
現在は、個人や組織がAIへ適応し始めた過渡期にある。
AIを使う会社と使わない会社の間には、大きく顕在化している部分とそうでない部分があり、ChatGPTを日常的に使っていますというレベルだと、まだ大きな差が生まれているといった実感は薄いだろう。
しかし、私は個人的にも組織運営上でもAI無しで頑張ってと言われたら絶望する。それくらいのレベルでは社内で浸透している。
そして、社会全体の適応が進めば、AIを使えること自体は差別化ではなくなる。
インターネットや電気のように、使うことが前提になる。
そのとき、何が起きるのか。
制作、実装、分析、企画の基本品質は上がる。
しかし、人間の根源的な欲求は大きく変わらない。
企業は、より売上を伸ばしたい。
消費者は、より便利で、楽しく、自分に合った体験を求める。
人は、認められたい。安心したい。誰かとつながりたい。自分らしさを表現したい。
AIによって需要が消えるのではなく、顧客が期待してよい成果の水準が上がる。
ECサイトを作ることが簡単になれば、顧客はその先を求める。
- どう売上を伸ばすのか。
- どう顧客を理解するのか。
- どうブランドを強くするのか。
- どう海外市場へ展開するのか。
- どう業務全体を最適化するのか。
基本品質が上がるほど、価値を認められる基準も上がる。
そこで希少になるのは、成果物を作る能力だけではない。
- 何を解くべきかを決めること。
- 複数の専門性を接続すること。
- 何を作らないかを判断すること。
- 顧客自身も言語化できていない欲求を見つけること。
- 最後の結果に責任を持つこと。
人の成長を、手順、原理、判断、接続、責任と捉えるなら、AIは前半を急激に効率化する。
だからこそ、人間には後半へ進むことが求められる。
おわりに|塩を減らしたら、仕事の未来まで考えることになった
ピザ生地に必要だったのは、最新の小麦でも、天然酵母でも、さらに高温の窯でもなかった。
わずか数グラムの塩だった。
私はレシピ通りに作っている間、塩の役割を知らなくてもピザを焼けていた。
しかし、条件を一つ変えた瞬間に、何が起きているのか分からなくなった。
仕事でも同じである。
模倣から始まり、手順を覚える。
その後、手順を成立させている原理を理解する。
原理を使って個別のケースを判断し、自走できるようになる。
判断を仕組みに変え、他の専門性と接続し、より大きな問題を解けるようになる。
その先では、どの知識と接続するのか、どの市場へ進むのかという、不確実な問いに向き合うことになる。
複数の自然な流れが合流し、大きな潮流が生まれる。
しかし、そのすべてを一人で事前に読むことはできない。
だからこそ、未来を完全に当てることだけを目指すのではなく、変わりにくいものを見る必要がある。
人は、より良いものを求める。
企業は、売上を増やし、利益を残し、リスクを減らしたい。
技術は、その欲求を満たすための手段である。
手段は変わる。潮流も変わる。求められる水準も上がる。
それでも、人間がより良いものを求めることは、おそらく変わらない。
私たちが学ぶべきなのは、今使っている手段だけではない。
その手段を成立させている原理と、その先にいる人間が本当に求めているものなのである。
関連コラム:アイゼンハワーマトリクスが教えてくれないこと(本記事で触れた「第二領域の学習が後回しになる」構造を、時間管理の側から掘り下げています)
関連コラム:フライホイール型カスタマージャーニー① 広告CPAやLTVだけでは捉えられない、相乗効果を生むチャネル設計(本記事で例に挙げたホロライブのフライホイール構造を、事業のチャネル設計として扱っています)



