生成AIを本格的に使うようになってから、専門性についての考え方が少し変わった。
少し前までは、
「AIによって専門家が不要になる」
という話がよくあった。
その反動なのか、最近では逆に、
「AI時代だからこそ専門家しか勝たん」
という話も聞く。
こちらの方が現在優勢なのは間違いないが、私は、それも少し足りないと思っている。
だから今のところ一番しっくり来ているのは、
AI時代には専門家が不要でも、専門家しか勝たんでもなく、専門性が前提になる。
という考え方だ。
AIを使えば、専門外でもかなりのところまで行ける
生成AIのすごいところの一つは、自分の専門外だった領域へのアクセスコストを猛烈に下げたことだと思う。
- エンジニアがデザインについてかなり専門的なことを調べられる。
- マーケターがSQLを書ける。
- 経営者がデータ分析について深く考えられる。
- デザイナーが技術的な制約について調べられる。
以前なら専門家に聞かなければ入口にすら立てなかったテーマについて、自分一人でもかなり深いところまで進める。
これは間違いなく素晴らしい変化だ。
ただし、ここには一つ大きな勘違いが起こりやすい。
専門的なアウトプットを作れることと、その専門領域の仕事ができることは同じではない。
AIを勉強しているエンジニアとの会話
先日、自社のコーポレートサイトリニューアルについて、現場スタッフから進捗報告を受けていた。
その中に、AIをかなり勉強しているエンジニアがいる。
AIそのものへの興味も強く、デザイン領域についてもデザインハーネスなどを勉強しながら、AIを使って色々やろうとしていた。
その姿勢自体は非常に良いと思う。
ただ、話を聞きながら、
そこまで無理に自分でやらなくてもいいんじゃないか
とも思った。
デザインについてAIと本当に高度な壁打ちをするためには、結局、人間側にもデザインについての専門性が必要になる。
- 良いデザインなのか。
- 何が弱いのか。
- なぜ弱いのか。
- どこをどう直すべきなのか。
- 今は成立していても、今後どこで破綻する可能性があるのか。
こうしたことを具体的に判断できなければ、AIからどれだけもっともらしいものが出てきても、最後の品質を上げ切れない。
なので、そのエンジニアには、
デザインそのものは専門のデザイナーに任せていい。
その代わり、AIに詳しいのであれば、デザイナーにAIの使い方を伝えたり、一緒にAIを使った制作プロセスを考えたりした方がいいんじゃないか。
という話をした。
これは今後、組織でAIを使っていく上でかなり重要な考え方になる気がしている。
なぜ優秀な人がAIを使うと、アウトプットまで優秀になるのか
AIを使う人と使わない人で出力のクオリティに差がつく。
これはもう珍しい話ではない。
ただ、実際にかなりの時間AIを使い、周囲の使い方も見るようになって感じるのは、単純なAIリテラシーの差だけではないということだ。
もともと仕事のできる人、あるいは特定領域で高い専門性を持っている人がAIを使うと、かなり強い。
なぜなのか。
今のところ、私は大きく4つあると思っている。
AIの力を増幅する4つの条件
- AIと壁打ちできること
- 論理的に考えられること
- その領域に専門性を持っていること
- AIを使って解くべき現実の仕事を持っていること
この4つは、それぞれ違う形でAIの力を増幅する。
AIとの壁打ちは、視座を爆速で上げる
AIとの壁打ちがうまい人は、一つのテーマについて何度も問いを重ねていける。
最初の回答を受け取って終わるのではない。
- 違和感を伝える。
- 別の角度から考えさせる。
- 前提を変える。
- 反論させる。
- 自分の仮説をぶつける。
- さらに調べさせる。
これを繰り返していると、そのトピックや課題についての視座が驚くほど速く上がっていく。
以前なら、本を読み、人と話し、実務を経験しながら数週間、数か月かけて辿り着いていたところまで、かなり短時間で進めることがある。
これは私自身、AIを使うようになってかなり強く感じている。
一方で罠もある。
自分だけがAIとの壁打ちを大量に繰り返していると、周囲との前提知識や視座に差がつきすぎる。
自分にとっては何段階も前に整理した話でも、相手はまだその入口にいる。
すると、レビューを受けても議論が噛み合わない。
相手が悪いわけではない。
単純に、そこに至るまでの思考量が違いすぎる。
AIによる成長速度の上昇は、場合によっては周囲を置いていってしまう。
それでも、個人の成長速度という意味では非常に大きい。
論理的思考力がある人は、AI自体を育てるのが速い
論理的に考えられる人は、自分が何を求めているのかを比較的正確に言語化できる。
- 何が前提なのか。
- 何を解きたいのか。
- どこが違うのか。
- なぜ違うのか。
- どう直してほしいのか。
これをAIに返せる。
だから、AIとのやり取りそのものが速く改善される。
他人に説明するための資料や文章を作らせる場合にも差が出る。
こちら側の論点や構造が整理されていれば、いわゆる「ポン出し」でもかなり良いものが返ってくる。
AIに良い文章を書かせる以前に、そもそも人間側で考えが整理されているからだ。
同じAIを使っていても、出力品質に差が出るのは当然だと思う。
専門性は、その分野の出力品質に直接効く
そして専門性は、もっと直接的にアウトプットの品質に効く。
デザインならデザイン。
エンジニアリングならエンジニアリング。
データ分析ならデータ分析。
専門性のある人は、AIが作ったものを見て、
「なんとなく違う」
で終わらない。
何が違うのか。なぜ違うのか。どこをどう変えるべきなのか。
を専門的かつ具体的に伝えられる。
だから修正の解像度がまるで違う。
さらに、専門性の高い人がAIを使ったときに起きることは、単に目の前の成果物の品質向上だけではない。
- ミスを防ぐ仕組みを作る。
- 人間では気づきにくい異常を検知する。
- 今は問題になっていないが、将来問題になる可能性を潰す。
- 同じ品質を継続的に出すための仕組みそのものを作る。
場合によっては、今まで存在しなかった仕事の進め方自体を発明できる。
AIにコードを書かせる。
AIにデザイン案を作らせる。
AIに分析させる。
という使い方と、
その専門領域の品質をAIによって構造的に上げる
という使い方には、かなり大きな差がある。
この後者に行けるかどうかは、やはり専門性に強く依存する。
そして意外と重要なのが、「AIでやること」があること
最後の一つは少し性質が違う。
そもそもAIを使って解くべき現実の仕事を持っていなければ、増幅する対象がない。
これは意外と重要だと思っている。
AIについて勉強するためにAIを使っている人と、
- 今日中に顧客への提案を作らなければならない人。
- システムを完成させなければならない人。
- デザインを決めなければならない人。
- 記事を公開しなければならない人。
- 経営判断をしなければならない人。
両者では、AIを使う密度が違う。
そして後者には、必ず現実からフィードバックが返ってくる。
- 提案は通ったのか。
- 顧客は納得したのか。
- システムは動いたのか。
- デザインは機能したのか。
- 記事は読まれたのか。
- 判断は正しかったのか。
AIとの壁打ちだけで世界が閉じず、現実から答え合わせが返ってくる。
この繰り返しによって、AIの使い方自体が急速に改善される。
個人にとって「AIでやることがあるか」は、多少運の要素もあるかもしれない。
しかし、これを組織のAI Enablementとして考えるなら、話は別だ。
会社側が、誰に、どんな仕事を渡し、どの専門性をAIによって増幅させるのかを、ある程度設計できる。
むしろ、ここまで考えて初めてAI Enablementなのではないかと思う。
AIで「できるようになった」と勘違いしない
生成AIを使っていると、自分の能力が急激に広がったように感じる。
- デザインについて専門的な話ができる。
- コードも書ける。
- 分析もできる。
- 戦略も作れる。
以前なら専門家に頼らなければできなかったことが、自分だけでもかなり進められる。
ここで、
「自分でもできるようになった」
と思ってしまいやすい。
しかし、これはかなり危険な罠だと思う。
専門性がない領域では、そもそも何を見落としているのかが分からない。
- 今見えている問題を解くことはできても、見えていない問題には気づけない。
- 一見うまくできていても、専門家から見れば構造的な問題が残っているかもしれない。
- もっと良い方法が存在すること自体を知らないかもしれない。
- 将来問題になるポイントも見えていないかもしれない。
そしてAIは、それでもかなり綺麗なアウトプットを返してくる。
ここが怖い。
専門外の人から見れば十分良く見えるので、「自分でできた」と感じやすい。
AIが専門家になるためのショートカットを提供してくれたわけではない。
専門外を理解するためにAIを使うことと、専門外の仕事を引き受けることは違う
もちろん、AIを使って専門外について勉強することには非常に大きな価値がある。
- 専門家との会話についていく。
- 知らない概念を理解する。
- 自分の専門領域との接続を考える。
- 隣接領域について最低限の判断材料を持つ。
こうした用途では、AIは非常に便利だ。
ただし、専門外を理解できるようになることと、その専門領域の仕事を担当することは別である。
この二つは分けて考えた方がいい。
先ほどのエンジニアの例でいえば、AIを使えばデザインについてかなり理解できるようになる。
それ自体は良い。
でも、だからといってその人がデザインまで担当する必要はない。
デザインはデザイナーにやってもらえばいい。
そのデザイナーがAIを十分使えていないのであれば、AIに詳しいエンジニアがAI活用を支援する。
そうすれば、
AIに詳しい非専門家がデザインする
のではなく、
デザインに詳しい専門家がAIを使いこなす
状態を作れる。
おそらく後者の方が圧倒的に強い。
AIによって踏み込める領域が広がった。
しかし、踏み込める領域すべてに、自分が踏み込む必要はない。
これは組織のAI活用を考える上で、かなり重要な線引きだと思う。
AI Enablementは、全員を万能化することではない
AI Enablementというと、
- 全社員にAIツールを配る。
- 研修をする。
- プロンプトを教える。
- 利用率を上げる。
といった話になりやすい。
もちろん、それも必要だと思う。
ただ、本当に組織の能力を上げるのであれば、もう一段考えた方がいい。
組織のAI Enablementで設計すること
- もともと専門性を持っている人に、その専門領域でAIを使う機会を大量に与える。
- 論理的思考力が高く、AIとの壁打ちができる人に、難しい現実の課題を渡す。
- AI活用が進んでいる人には、自分がすべての仕事を取るのではなく、別領域の専門家がAIを使いこなせるよう支援してもらう。
そうやって、人の専門性とAIを適切に組み合わせる。
全員を万能選手にする必要はない。
むしろ専門性がある人を、AIによってさらに強くする。
そして専門家同士がAIを介してこれまで以上に高度に協働できるようにする。
そちらの方が、組織としては強いのではないかと思う。
おわりに|AI時代には、専門性が前提になる
生成AIによって、専門知識へのアクセスは確実に民主化した。
知らないことを調べるコストは下がった。
専門外のことを理解するコストも下がった。
専門的なアウトプットを作るハードルも大きく下がった。
しかし、それによって専門性が不要になったわけではない。
むしろ高い品質を出そうとすればするほど専門性が必要不可欠になる。
だから、AI時代には専門家が不要でも、専門家しか勝たんでもなく、専門性が前提になる。
専門外についてAIを使って理解することは、大いにやればいい。
ただ、それによって自分が何でもできるようになったと勘違いしない。
自分の専門性を持ち、その専門性をAIで大きく増幅する。
そして別の専門領域については、その分野の専門家がAIを使って強くなるのを助ける。
AI時代の強い組織は、全員が何でもできる組織ではなく、専門性を持った人たちが、それぞれAIによって異常に強くなっている組織なのかもしれない。
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