ビッグデータ、データドリブン、統計解析、機械学習、そしてAI。
ここ十数年、ビジネスの世界では「データを持っていること」「データから判断すること」が、ほとんど疑う余地のない正義になった。
もちろん、これは基本的には正しい。
勘や経験だけで判断するより、実際の顧客行動を見た方がいい。サンプル数が多ければ偶然の影響を受けにくくなるし、統計的に検証できるなら、その方が意思決定の確度も高まる。
ただ、あまりにもトレンドになりすぎた結果、少し順番がおかしくなっている場面もあるように思う。
「何を知りたいのか」より先に、
- 「Nはいくつですか?」
- 「統計的に有意ですか?」
- 「十分なデータはありますか?」
という話が始まる。
統計は、立てた問いに答えるためには非常に強力な道具だ。
しかし、そもそも何を問うべきなのかまで、統計が自動的に教えてくれるわけではない。
極端に言えば、間違った問いに100万件のデータを使って精密に答えても、精密に間違えるだけである。
これはビッグデータを否定したいわけではない。
むしろ逆で、あまりにも強力な道具だからこそ、私たちはいつの間にか「データを増やすこと」と「理解を深めること」を同じものとして扱うようになってしまったのではないか、という話だ。
そして最近、これとよく似たことが別の言葉でも起きている気がしている。
「スモールスタート」である。
「まずはスモールスタートしましょう」という魔法の言葉
新規事業でも、ECでも、システム開発でも、何か新しいことを始めるとかなりの確率で登場する。
「まずはスモールスタートしましょう」
非常に便利な言葉である。
反対する人がほとんどいない。
いきなり大金を投じるより、小さく始めた方が安全そうだし、経営会議にも通しやすい。
ただ、長年いろいろなプロジェクトに関わってきた私の体感では、「スモールスタート」という言葉の9割くらいは、実際には次のような意味で使われている。
- 「まず小さくやって反応を見ましょう」
- 「成果が出るか見ましょう」
- 「ビジネスとして成立するか見ましょう」
その結果、実務上は、
- 機能を減らす。
- 対象顧客を絞る。
- 開発費を下げる。
- 広告費を抑える。
- 期間を短くする。
という話になりやすい。
要するに、スモールスタートがほとんど「小さな投資」という意味で使われている。
もちろん、それ自体が悪いわけではない。
分からないものにいきなり大金を投じないのは合理的だ。
ただし、そこで一つ問題がある。
小さく始めて「売れませんでした」という結果だけが残った場合、私たちは一体何を学んだのだろうか。
「売れなかった」は、意外と何も教えてくれない
例えば新しいEC事業を小さく始めたとする。
最低限のECサイトを作った。
広告を少し配信した。
1か月経った。
売上30万円。
CVRは1.2%。
CPAは想定より高かった。
そこで、「思ったより反応が悪いですね」「このビジネスは厳しいかもしれませんね」という会話になる。
これは確かに結果を見ている。
しかし、次の意思決定に必要なことは、ほとんど分かっていない。
- 売れなかったのは、商品が悪かったのか。
- 価格なのか。
- ターゲットなのか。
- 商品ページで価値が伝わっていなかったのか。
- 送料なのか。
- 配送日数なのか。
- 決済方法なのか。
- 広告で連れてきた人が違ったのか。
- 単に1か月では短すぎたのか。
「売れなかった」という事実だけでは、これらを区別できない。
つまり、スモールスタートで見るべきなのは、結果そのものだけではない。
その結果が生まれた条件について、何が分かったのか。
こちらの方が重要なのではないかと思う。
Lean Startupが言っていたのは、「安く作れ」ではない
Eric Riesの『The Lean Startup』で中心に置かれているのは、Build–Measure–Learnというフィードバックループである。
作る。測る。学ぶ。
そしてまた次の仮説を試す。
MVPも、単に機能の少ない廉価版の商品を作るという話ではない。
重要な仮説を、できるだけ小さな投資で検証するためのものだ。
つまり、本来重要だったのは、どれだけ小さく作れたかではない。
どれだけ学習できたか。
なので、スモールスタートを言い換えるなら、小さく作ることではなく、小さいうちから学べることなのではないかと思う。
そして「ビジネスとして成立するかを見る」という問いも、少し粗すぎる。
初期段階では、商品も未完成で、ECも未完成で、集客も未成熟で、CRMもほぼ存在しない。
その状態で、「成立した」「成立しなかった」と二択で判定するより、どういう条件なら成立する可能性があるのか、何が分かったのかを見る方がはるかに重要だ。
大量のデータとは別に、「一人を深く見る」という考え方もあった
この話を考える上で参考になるのが、Thick Dataという考え方である。
ビッグデータが大量のデータからパターンを見るのに対し、Thick Dataでは、少人数の人間を深く観察し、その行動の背景にある文脈、感情、価値観、動機を理解しようとする。
大まかに言えば、ビッグデータが「何が起きているか」を見るのが得意だとすれば、Thick Dataは「なぜそれが起きているのか」を考えるための材料になる。
日本のマーケティングで言えば、西口一希氏が提唱してきたN1分析にも近い部分がある。
一人の実在する顧客を深く見る。
- 何に価値を感じたのか。
- なぜ買ったのか。
- その前は何を使っていたのか。
- 何が態度変容のきっかけになったのか。
もちろん、一人がそう言ったから市場全体もそうだ、という話ではない。
N1やThick Dataは、統計の代わりではない。
小さく濃いデータから、「もしかすると、こういうことが起きているのではないか」という仮説を発見する。
そして必要になれば、より大きなデータで確かめる。
発見と検証である。
どちらが正しいかではなく、役割と順番が違う。
ECで「小さく学ぶ」なら、先に仮説を置く
では、ECで具体的に何をすればいいのか。
ここで重要なのは、取得できるデータを片っ端から眺めることではない。
スモールスタートを始める前に、事業が成立する仮説をある程度モデル化しておくことだと思う。
例えば最低限、
- 誰が買うのか
- 何に価値を感じるのか
- 何が購入の決め手になるのか
- 何が購入を妨げるのか
- 何が満足や再購入につながるのか
くらいは仮説として置いておく。
「30代女性に売れると思う」だけでは少し粗い。
例えば、「この顧客は、この状況で、この問題を抱えており、価格よりこの価値を重視する。そのため、この訴求を見れば購入するのではないか」くらいまで考える。
すると、実際に売れなかったとしても、
- 顧客が違ったのか。
- 価値が違ったのか。
- 訴求が違ったのか。
- 購入障壁が想定外だったのか。
を切り分けられるようになる。
スモールスタートで見るべきなのは、単なる結果ではなく、最初に置いたモデルと実際に起きたこととの差分なのである。
行動で分かることと、聞かなければ分からないことを分ける
そのうえでECの行動データを見る。
- どこから来たか。
- 何を検索したか。
- どの商品を行き来したか。
- どこでカートを離脱したか。
- 送料や配送ページを何度見たか。
- 何を一緒に買ったか。
- 何日後に再購入したか。
スモールスタートだからこそ、「CVRが2%でした」だけで終わらず、残り98%が何をしていたのかを見ることができる。
ただし、行動だけでは理由までは分からない。
送料ページを3回見たからといって、送料が高いと思ったとは限らない。
そこで一問だけ聞く。
購入後なら、「今回購入を決めた一番の理由は何ですか?」
返品時なら、「今回返品される最も大きな理由は何ですか?」
購入を迷っている人には、「購入を迷っている理由があれば教えてください」でもいい。
重要なのは大規模なアンケートを取ることではなく、仮説を判定するために、行動だけでは分からないところを聞くことである。
β販売や限定販売なら、購入後の簡単なフィードバックへの協力を最初からお願いしてもいい。
単に「100個売れるかを見る」のではなく、100個売ったあと、次の1000個をどう売るべきかが少しでも分かる状態を作る。
その方がスモールスタートらしい。
結果を見るのではなく、仮説を更新する
小さいデータを扱う以上、10人中7人がそう答えたから「市場の70%がそう思っている」とは言えない。
だから、スモールスタートで無理に結論を出す必要もないと思う。
見るべきなのは、
- 仮説が強まったのか。
- まだ分からないのか。
- 見直すべきなのか。
である。
例えば、複数の異なる顧客で同じ行動が見られ、本人の回答とも一致しているなら、その仮説は少し強くなる。
逆に、
- 想定していた顧客とは違う人ばかりが買っている。
- 購入者がこちらの想定とはまったく違う価値を語っている。
- 想定していた訴求をほとんど見ずに購入している。
こうしたことが繰り返されるなら、仮説を見直した方がいい。
できればスモールスタートを始める前に、何が起きたら仮説を強めるのか、何が起きたら見直すのか、くらいは決めておく。
そうしないと、結果を見てから、「思ったより悪くないですね」「もう少し続けてみましょう」と、いくらでも解釈できてしまう。
ただし、小さいデータには当然バイアスがある
ここまで書くと、「それなら昔からモニター調査もサンプル配布もアンバサダーマーケティングもあったではないか」という話になる。
その通りである。
小さいデータを取りにいくこと自体は、まったく新しくない。
商品を無料で配って感想を聞く。ファンを集めて意見を聞く。購入者にアンケートする。
昔からいくらでも行われてきた。
ただし、ここには当然バイアスがある。
- 無料でもらった人に「この商品どうでしたか?」と聞けば、多少は好意的になる。
- ブランドのアンバサダーだけを集めれば、当然ブランドへの評価は高くなる。
- 購入者だけに聞けば、そもそも購入しなかった人の声は存在しない。
だから重要なのは、バイアスを完全になくすことではなく、このデータが誰から取られたものなのかを自覚することだと思う。
- アンバサダーなら、熱量の高い顧客が何に価値を感じているかを見る。
- 離脱者なら、何が購入障壁になったのかを見る。
- リピーターなら、何が継続理由になっているのかを見る。
問いに応じて、見るN1を変える。
一人の意見を市場全体に一般化するのではなく、複数の異なるN1から仮説を作り、必要なら定量的に確かめる。
AIは、要約だけでなく「仮説を壊す」ためにも使える
そして、この問題はAIを使ったところで消えない。
むしろ少し怖い。
購入者30人のポジティブなコメントだけをAIに渡せば、AIは非常に上手に、「顧客がこの商品を支持する5つの理由」を整理してくれる。
文章が上手いだけに、妙に説得力もある。
でも元データが偏っていれば、綺麗に整理された偏った結論が出来上がるだけである。
だからAIには、「購入理由をまとめて」だけではなく、
- 「この事業仮説と矛盾する行動や発言を探して」
- 「想定顧客像と一致しない購入者を抽出して」
- 「同じ購入結果でも理由が異なる顧客を分けて」
と聞く方が面白い。
AIを、都合よく結果を要約する道具ではなく、仮説を壊すための道具として使う。
これは、小さいデータを扱う上ではかなり重要だと思う。
そしてAIによって、小さいデータを「読み切る」コストが下がった
小さいデータを活用するという考え方自体は昔からあった。
問題は、非常に手間がかかることである。
例えば10人に1時間ずつインタビューをしたら10時間。
- 文字起こしする。
- 全部読む。
- 似た話をまとめる。
- 違う話を探す。
- 問い合わせ履歴と突き合わせる。
- 購買履歴を見る。
- さらにサイト行動も見る。
これを毎回人間が行うとなると、なかなか重い。
だから企業はこれまで、可能な限りデータを構造化してきた。
購入した、しなかった。星5、星4、星3。Aを選んだ、Bを選んだ。
数値にすれば集計できるからだ。
しかし生成AIは、問い合わせ、自由記述、インタビュー、レビュー、検索ワードなど、これまで人間が大量に読まなければ扱いづらかった非構造データを整理し、比較し、仮説を探すことができる。
AIが10人を1万人にしてくれるわけではない。
10人のデータをAIで分析しても、統計的な信頼性が上がるわけでもない。
変わるのはそこではない。
10人から得た情報を、人間が以前より読み切りやすくなる。
AIが変えるのは、サンプルサイズではなく、読み切れる情報密度なのかもしれない。
100人の顧客は、100行のデータではない
例えばECに100人しか顧客がいないとする。
ビッグデータという観点では、とても小さい。
でも、
- 購入履歴
- サイト内検索
- 閲覧履歴
- 問い合わせ
- 購入理由
- 返品理由
- レビュー
- メールへの反応
そのすべてを一人の顧客単位でつなげたらどうだろう。
同じ100人でも全く違う。
100人を、「100件の購買データ」として見るのか、「100人分の顧客ストーリー」として見るのか。
AI以前とAI以後では、後者を扱うコストが大きく変わってきている。
これから重要になるのは、単純にNを増やすことだけではなく、一人から得られる情報の密度をどう高めるかなのかもしれない。
スモールスタートで見るべきなのは、「成果」だけではない
ここまで考えると、スモールスタートの評価指標も少し変わる。
もちろん、売上、CVR、CPA、ROASを見る。
事業なので当然である。
ただし、初期段階ではそれだけではない。
スモールスタートの学習指標
- 想定していた顧客と実際の購入者は同じだったか。
- 顧客は想定した価値に反応していたか。
- 購入を動かした要因は何だったか。
- 最大の購入障壁は何だったか。
- リピートする人にはどんな共通点があったか。
- 当初の事業モデルのどこが合っていて、どこが違っていたか。
- 次に何を試すべきかが明確になったか。
これらもスモールスタートの成果である。
極端な話、売上100万円を作ったが何も分からなかったスモールスタートと、売上30万円だったが、次の1000万円を作るための重要なことが5つ分かったスモールスタートなら、後者の方が成功している場合もある。
つまり、スモールスタートで確認するべきなのは「成果が出たか」だけではなく、「成果が出る条件について何を学べたか」である。
ここまでやると、スモールスタートも普通に金がかかる
……と書いてきたところで、少し嫌な事実に気づく。
これをちゃんとやろうとすると、普通に大変である。
- 仮説を作る。
- 計測を設計する。
- データをつなぐ。
- 質問を設計する。
- 誰に聞くか考える。
- 結果を判定する。
- バイアスも考える。
- 必要ならインタビューする。
AIに任せるにしても、何を入力し、何を問い、結果をどう解釈するかは人間側に残る。
つまり、正しいスモールスタートには、普通に専門性が必要で、普通にお金もかかる。
ここは少し皮肉である。
「まずは安くスモールスタートしましょう」と言って始めたはずなのに、本気で学ぼうとすると、調査費も分析費も必要になる。
ただ、これは矛盾ではないと思う。
スモールスタートで削るべきなのは、学習に寄与しない大きな投資であって、学習するための投資そのものではない。
1000万円かけて完成版を作ってから、「売れませんでした」と分かるより、500万円で小さく作り、その中に調査・分析・改善まで含めて、「この顧客には、この価値が、この条件なら刺さる」まで分かった方がいい。
スモールスタートとは、最安値で事業を始めることではない。
分からないものに大金を張らないことなのだと思う。
おわりに|「小さく始める」より、「小さく学ぶ」
ビッグデータは強い。統計も強い。
N1もThick Dataも万能ではない。AIも当然万能ではない。
重要なのは、それぞれを適切な順番で使うことだと思う。
小さく学ぶ順番
- 仮説を作る。
- 小さく始める。
- 行動を見る。
- 理由を聞く。
- モデルとの差分を見る。
- 仮説を強める、保留する、あるいは捨てる。
- もう一度試す。
- 少し広げる。
- 必要なら定量的に確かめる。
そして、確信が持てるようになったところで大きく投資する。
考えてみれば、非常に当たり前の話である。
ただ、ビッグデータやAIの話があまりにも大きくなった今だからこそ、逆にこの当たり前を考え直す意味があるのではないかと思う。
スモールスタートの本質は、小さく作ることではない。
小さいうちから学べることである。
そしてAIによって、その「小さく学ぶ」ためのコストを下げられる場面は確実に増えている。
とはいえ、ここまで散々書いてきた通り、ちゃんとやろうと思えば、仮説設計もデータ分析もインタビューも必要なので、それなりにお金はかかる。
……と、最後に散々ハードルを上げておいてなんですが、当社ではこのあたり、比較的リーズナブルにお受けしております。笑
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